ゼミ内グループ研究の文献として私たちは、デヴィッド・ハーヴェイ著『ポストモダニティの条件』を選び、その第T部である、「現代文化のモダニティからポストモダニティへの移行」を読み進めていった。本書の冒頭の第一章において彼は、「ポストモダニズム」という概念、そしてそれが意味するものについて、「人々の間できちんとした意見の一致をみることはないであろう」と述べ、その概念の定義が論者によってズレていて、それ故にその概念を巡る論考、議論が困難になっていることを示していた。論者によってその概念へのアプローチ方法が異なっていたり、共通の土台の上に立っていないことで議論がすれ違うことは日常生活においても往々にして起こるが、「ポストモダン」を論じる本書においても、その概念の理解のための起点として「モダン」、「モダニティ」といった概念の整理から始められていることからして、そのように概念や定義が拡散したものであり、曖昧であることが窺い知れる。彼が述べているように、「ポストモダニズム」を理解するに当たって、唯一共通の理解が得られている部分は、それが、『「モダニズム」にたいする何らかのリアクション、もしくは「モダニズム」からの離脱をあらわしているということ』だけなのである。

 

「ポストモダン」という言葉は、1980年代に日本で「ブーム」となった(らしい)。そしてそれはその他多くの「思想」に同じく「消費」され、メディアでの商業的役割を終えるや否や舞台から降りていったのだという。「ポストモダン」は出版界では時代遅れのキーワードとされたのだ。「ポストモダン」という言葉が、時期区分を示す概念であり、しかもそれがいわゆる消費社会である現代においても、なお当てはまるような種類のものであるとすれば、そのようにブームを終えて姿をくらますこととなったのは、皮肉である。そんな中で、まさしくその80年代に生まれた私たちが今、ハーヴェイが記したこの書を読み、「ポストモダニズム」とは何であるかについて考えることになった。わたしたちにとってそれは何を意味するのだろうか。私たちにとってそれは、自分たちの生きてきた地平を探ることに他ならない。残念なことに、私たちの世代は、ハーヴェイの文章中に頻出する「感情構造の深遠な変化」を体験していない。その何がしかの変化が訪れた後のことしか体験的には知らないのである。私たちの生きてきた時代が「ポストモダン」という言葉で捉えられるのならば、私たちは純粋なポストモダン世代のポストモダン人である。

 

本小論における趣旨は、文献読解を基にして、現代における私たちがどのような状況にあるのかについて「ポストモダン」、「モダン」という概念を巡って考察することである。予備的な考察をここで行うとすれば、文献読後、そしてゼミにおける議論の後には、私の中で「モダンが終焉してその後ポストモダンが始まり、現在はその状況が続いている」といった単純な認識が覆され、「モダン」と「ポストモダン」の単純ならぬ関係が見て取れた。私がそこから感じたことは、「モダン」の性質がまだ現代において多分に残っているということである。これは、著者が第T部において、基盤としての資本主義という社会経済システムとの関連で「モダン」、「ポストモダン」を捉えるやり方を示していること、そしてゼミ内で議論された「ポストモダニズムはモダニズムとの完全な断絶を示している」かどうかということに深く関係している事柄でもあるが、それよりむしろ、「モダニティ」や「モダニズム」を自分自身の日常と照らし合わせることでも強く認識されるものでもある。

 

まず本小論における前提を確認しておきたい。1970年代初頭に「ポストモダン」という概念が生み出され、それが曖昧な形ではあったにせよ、先進諸国の文化的事象を捉える際に重宝された。これについて異論を唱えるものはいないであろう。それは歴史的事実であるのだから。しかし前述のように「ポストモダン」の定義が曖昧であるために、『「ポストモダン」は未だ到来していない』というような主張が見られたりする。ゼミ内の議論においてもたびたびあったことではあるが、そもそも土台が違うところから生まれた主張がズレるのは当たり前だと言える。本小論においてそのようなズレを起こさないために私は、上述のような「歴史的事実」を重視したい。すなわち、ハーヴェイやその他多くの論者が同様に前提としているように、確かにそれまでの時代とは「何かが変わった」ということを疑わず、むしろそれを認めた上で論考を進めるということである。私はその変化を経験的に知らないため、それが確かかどうかについて推察するしかない。しかし、多くの論者が70年代以降の状況についてそれまでの時代の状況とは異なるという見解を述べていることからして、信頼するに足るものだろう。そしてその状況、時期について何か「名称」が必要となり、「ポストモダン」という言葉が充てられたのだ。ここで前提として重要なのは、「確実に以前とは何か異なる状況」として「ポストモダン」という言葉が充てられることを認めるということである。

 

前述のとおり、文献を読んで私には「モダン」「モダニティ」という概念が強く印象に残った。それ故にここでは、それらの概念についての確認が大半を占めることとなるだろう。それではまず文献に則して「モダニティ」という概念の変遷を見ていく。

 

 

 

 

ハーヴェイは第二章において、「モダニティ=現代性」が歴史的、社会的、そして経済的なコンテクストの変化に伴っていかに変容したか、そしてその性質を追及する動向としての「モダニズム」が、どのような変遷を辿ったのかについて詳しく分析している。私はこの「モダニティ」、「モダニズム」が変容するプロセスに着目することが重要だと考える。ポール・グリーンハルシュ著の『デザインのモダニズム』でも、建築という分野において、「先駆的モダニズム」の段階と、その後に続く「インターナショナル・スタイル」というように「モダニズム」という一つの言葉で表現されるその動向は、時代と共に性質が少なからず違うということが言われていたが、ハーヴェイの分析は個人的にさらに興味深いものであった。

 

ハーヴェイはまず、ボードレールの「近代生活の画家」という論文から「モダニティ」の定義を引用している。

 

「現代性とは、一時的なもの、うつろい易いもの、偶発的なもので、これが芸術の半分をなし、他の半分が、永遠のもの、不易なものである。」

 

ここでは易と不易のものの結合体として「モダニティ」が捉えられている。この易、不易との揺らぎのプロセスという観点でハーヴェイは「モダニズム」の変遷、さらには「ポストモダニズム」の特徴をも説明している。それは「モダニズム」に関して言えば、易から不易へという動きであり、逆に「ポストモダニズム」では易という性質をむしろ肯定するという特徴、といった具合である。これは、主にこれまでゼミで扱った文献(それが建築という分野に偏っていたためか)における「モダニズム」「ポストモダニズム」の認識とはいささか異なるものであった。モダニズム建築の特徴は、「鉄、コンクリート、ガラス」、「合理主義的、機能主義的、技術中心主義的」、「直線的、幾何学的、無装飾」といった言葉から連想されるものであり、そこには、堅固なイデオロギーが見て取れた。それ故、ボードレールの定式の不易という側面は理解に容易であり、『ラスベガス』や『建築の解体』に見られるいわゆるポストモダン的な動向に関して不易が当てはまることも頷ける。ボードレールの定式において特異なことは、「モダニティ」においても易を見出していることである。しかしこれについては、ハーヴェイの示す「モダニティ」という概念の変遷によって説明がつく。「ボードレールの緊張感をもって」「モダニズム」、「モダニティ」の理解を試みることによって「モダン」と「ポストモダン」を特徴付けるメカニズムを見ていきたい。

 

 

「モダニティ」の変遷の上でまず重要視されるのは、啓蒙思想の役割である。これはハーバーマスのいうモダニティのプロジェクトの発端を示すものでもあるが、ハーヴェイはこの啓蒙のプロジェクトの理解が極めて重要であると述べている。啓蒙思想は「人間をその鎖から解き放つために知識や社会組織から神秘性を取り除き、神聖性を排除しようとした世俗的な運動」であり、それはすなわち、人間の理性、客観的な科学への絶対的な信頼に基づく進歩思想であった。「Enlightment」=「目を開かせる」というように、思想家から民衆への(上からの)運動であり、それはカントの「恐れず認識せよ」という格言に如実に表現されている。そこには「平等、自由、人間の知性への信頼、普遍的な理性が広がっていた」のであり、人類の進歩のためには必然的に伝統、宗教的な体制といったものを批判するものであった。ボードレールの定式の易の部分はこの点を表現している。すなわち、啓蒙思想家たちが変動の大波を歓迎することは、そのプロセスにおいて「刹那的なもの、束の間のもの、断片的なもの」が立ち現れることが不可避であるということである。ここで重要なことは、易の性質は、あくまでも「不易のものへ向かう」ための過程であるということだ。ボードレールの定式はこの点において啓蒙の時代から様々に移り変わる「モダニティ」の本質を言い当てているといえる。

 

啓蒙のプロジェクトの理解に関してポストモダン思想の中心となっている見方は、それが楽観的であるということである。端的に、それはユートピア的であったと。すぐれた理性、自由とは何か。それらが曖昧にされたままであったため、人間解放それ自体が「普遍的な抑圧のシステム」として働くのだと認識された。ポストモダン思想においては「啓蒙の理性」の欠点故に現代史の「闇の部分(死の強制収容所と死の軍隊、軍国主義と二度の世界大戦…)」が生み出されたという解釈が一般的であるといわれる。「啓蒙の理性」の不信、そして「合理的で科学的な理解という啓蒙の原則を、行為に適した道徳的で政治的な原則へと変換することのむずかしさ」が顕著になるにつれて、「モダニティ」の重要な転機がおとずれる。私は、この転機を重要なものとして考えている。「啓蒙のプロジェクトが当初からわれわれをカフカの世界に押し込むような運命にあったかどうか」については、容易に片付けられるべきではないと思うのだ。

 

 

 

「モダニティ」の重要な転機の一つとして、ニーチェの役割が重要である。科学や合理性や政治よりも「美学」を上位に据えたことが「モダニティ」の性質を大きく変容させることとなった。ニーチェが描く「創造的破壊」のイメージは、「モダニティ」の性質を端的に表現している。破壊なくして新しいものは創造しえないのだ。ニーチェは美的経験を理論的認識や道徳的行為に「抗する」のみならず、それらすべてを超越した判断基準として捉えた。上述のように、もはや「人間の永遠で不変の特性を定式化するにあたって啓蒙の理性に特権的な地位を与えること」は不可能だと考えられた。ニーチェの「芸術と美学的な感覚は、善悪をこえる」力をもつという主張は、必然的に「美学」の創造者=文化的生産者としての芸術家の立場を強めるものであり、ボードレールの定式において定義されているように、芸術家こそが「過ぎ去った瞬間が内在している永遠なるものを示唆するすべてのものを、その瞬間から引き出すことができる」ということを導くものであったのだ。ニーチェの言うような「美学」の優位はその後の芸術運動の展開のスピードを早めたとハーヴェイは指摘している。コルビュジェが述べているように、「モダニティ」は「永久に再確立され続けねばならないバランス」であり、そのように理解されていたが故に、その中でアヴァンギャルド芸術が重要な役割を担っていたことは頷ける。芸術家たちは永遠の真理をあらわす特有の様式を見つけることに夢中であったのだ。

 

「モダニティ」はここからさらに変化を続けることになる。それは主にハーヴェイが本書で執拗に指摘している西欧資本主義との関連、そして大戦によって西欧社会を包み込んだ絶望、無秩序という感覚との関連において容易に理解できるものであり、本書においても具体的な時期(1910年から1915年にかけて)を挙げて、その質的変化について説明している。

この質的変化については、様々な要因が複雑に絡み合って生じた結果であり、この状況、そしてここからいわゆる「ポストモダン」という時代へと向かっていくにあたって、何が最も影響を及ぼしたのかということについては論者によってその強調するものが異なっているが、ハーヴェイが5章においてマルクスの理論を大体的に取り上げているように、「資本主義」との関連によって考察されることがその中でも重要であると考える。むしろ、社会経済基盤として「資本主義」が考慮されなければ嘘である。そうであるからこそ芸術はより商業的な意味をもつようになったし、画一的な形態の建築があらゆるところで建てられることにもなったのであろう。ボードレールの定式に関して言えば、資本主義(もちろん同様にテクノロジーの発展も重要だが)の様式が変化するにつれて、不易から易へと比重が偏ること、つまり永遠性の神話を求める動向が強まっていき、それが堅個になっていくにつれてそれに懐疑的な動き、「ポストモダニズム」という動向が立ち現れることになる。つまりそれは「モダニズム」から「ポストモダニズム」への変遷は「不易」を求めるものから「易」を積極的に受け入れるものへの移行であったのであり、それはメカニズムとして理解に容易であるし、的をえている解釈方法でもあるだろう。ここでは「ポストモダン」の特徴を詳細にわたって分析することはしないが、ボードレールの定式の易ということを積極的に受容し、むしろそれを楽しむということがその特徴のおおまかな枠組みを説明できるものであると考える。

 

 

 

おおまかな形ではあるが、「モダニティ」の変遷について概観してきた。「モダニティ」という概念は、それを生み出す主体である人間がおかれている社会状況、経済状況等が複雑に絡み合って生み出されるものであり、その性質がボードレールの定式の不易の面を強く強調し過ぎるようになった時、その主義主張、あるいは運動としての「モダニズム」が時代遅れのものとなる。「ポストモダン」の時代においては不易を求めることはナンセンスである、とされていて、唯一絶対の価値ではなく多様な価値が存在するということが大前提とされている。「多様な価値」が存在すること、確かにこれは私たちが小さいころから現在に至るまで、経験的に学んでいることでもある。「ポストモダン」的な考え方は、どうやら無意識的に私たちに浸透しているらしい。「モダニティ」の変遷は、このような「価値」の変遷でもあったように思える。

 

しかしここでもう一度考えてみたいのが、「ポストモダン」という時代においては唯一絶対の価値なるものは本当に存在しないのか、ということについてである。この問いは、ゼミ生の議論の中でも最後まで曖昧にされてきたことであり、自分自身の中で最も引っかかっていた事柄の一つであった。確かに「モダニティ」を追求する「モダニズム」という動向が破綻に向かっていく様子は、様々な論者によって分析され、それは各々がそれなりに納得できるものであると感じる。しかし、その堅個な主義主張は無くなってしまったのだろうか。以下ではこの問題を考察したい。

 

 

 

 

「モダニズム」へのリアクションとして「ポストモダニズム」が語られる際の柱としてよく援用されるのが、J.F.リオタールの「大きな物語」という概念である。ここではその詳細を検討することはできないが、一般に、西洋で支配的であった「共通の土台」(それは経済、思想、その他芸術の各分野においても支配的であった何か)が、もはや通用しなくなった、ということを示しているという。これは、ボードレールの定式を使用し、易、不易の観点からハーヴェイが分析したこと(さらには感情構造の深遠な変化という事柄)とベクトルは同じであろう。とにかく、それまでに絶対的な力、信頼があったものの非絶対性を示したのであり、それは、絶対普遍、不易というものを求めてきた「モダニズム」への疑念、反感、そういったものに起因していた。

それでは、そのように何か変わってしまったといわれる世界の中で、私たちはどのようであるか。前述の通り、「ポストモダン」的な考え方は、経験的に私たちに刷り込まれていると言える。しかし、それは何か「偏り」をもっている感じがするのである。その「偏り」とは何なのか。

 

 

「共通の土台」を失ってしまうということは、言わば「何でもあり」の状況が生まれるということである。何が幸福で何が不幸か、何が美で何が醜か、そして何が善で何が悪なのか判断することの基準が疑問視され、結局は全く対極のものの存在を認めなければいけなくなる。全てが相対化され、どれが正しいのか、ということ自体問えなくなる。「ポストモダン」とはそういう状況を示しているはずである。

ポストモダニスト達が、むしろ易それ自体を楽しむと主張することは、(堅個なモダニズムに対する反感の気持ちを高らかに謳わなければならなかったという背景があるにせよ)明らかに危険なことでありはしないだろうか。

 

 

私がこの状況を考える際によく想像するのが、「何が善で何が悪か」という事柄である。「モダン」の時代においては、「道徳」それ自体が「善きもの」とされ、それが社会をまとめあげ、人間同士の関係を築く社会的装置として働いていたと言える。しかし、「ポストモダン」状況においては、「道徳」自体が善きものかどうかを疑われてしまうだろう。近年身近な話題を挙げるならば、「人を殺すことは何故悪いのか」という問いにこの問題が顕在しているのではないだろうか。「ポストモダン」状況においては、この問いにおいてさえも対極の立場の存在を認めざるを得ない。しかし実際に私たちは、このような問題に囲まれているというのも事実ではある。唯一絶対の価値はない。それを追い求めすぎたことが歴史における「闇の部分」を生み出したという主張がある。しかし易を積極的に受け入れるという「ポストモダン」状況では、人を殺すことに美を見出してしまう人間さえも、それは一種の「価値観」として認めていかなければならないだろう。前述で、啓蒙の理性から美学へ、という「モダニティ」の転機は重要であると言ったのも、このような実際に現代における諸問題に対して当てはまると感じたからである。

 

 

 上述の例を通して私が言いたかったことは、「モダニティ」、「モダン」の欠片は、「ポストモダン」と呼ばれる現代においても未だに大多数の人々には無意識的に根付いているということ、そしてその「ポストモダン」的な考え方と、「モダン」的な考え方の共存という、一種のねじれの状態が、現代を巡る状況としてあるのではないか、ということである。

私は日本という国で育ったわけであるが、少なくとも自分の周りの人々は、理性的であり、(時代遅れの?)道徳と呼ばれる種類のものを身につけていたように感じる。我々の国では、その暗黙の規範(それはもちろん文章化されているようなものではない)から逸脱する者は、「ポストモダン」的といって擁護されるよりも、むしろ暗黙のうちに排除されることの方が多いだろう。身の周りにはそのような「モダン」の欠片が多く見られるのではないだろうか。経済社会は「モダニズム」が駆動原理だろうし、学問の世界、特に「理工系」というのは「モダニティ」を追求することで成り立っているようなものではないか。私たちは「理性によって駆動された社会が、理想の社会を紡ぎだす」ことに懐疑的ではあるものの、「勉強は大事」だと思っていて、その裏では「教養は金にならない」という思いを隠し、子供には「いい就職」をしてもらいたいと願っているだろう。このように、身近な出来事の側面から容易に私たちの思考にまとわりついている「モダニティ」の欠片を見て取ることができると思う。

現代の状況を、ボードレールの定式において考えて見るとどうだろうか。「モダ二ティ」においては易と不易がバランスをとって規定されるものであった。現代では多くの人が易の面を感じることが多いだろう。そしてそれをむしろ楽しんでいるとも言える。しかし、やはり心のどこかでは不易を信じることを止めていないのではないだろうか。だからこそ、危ういバランスで社会が成り立って(いや、崩壊して?)いるのだろう。この点で言うと、「モダニズム」との断絶はないと言えるのではないだろうか。しかし人々は明らかに「モダニズム」の時とは何か違う状況を感じ取っているにも関わらず、過ぎた日の習慣を信仰し、現実とのギャップに苦しんでいる。「モダ二ティ」と「ポストモダニティ」なるものの拮抗状態はこれからも当分続くだろうし、これは容易に「解決」することができない問題であるとも思う。このような状況に対してポストモダニストたちは、どう感じているのだろうか。ニヒリスティックに「このカオスこそが待ち望んでいたものだ」と言ってのけるのだろうか。それとも、「ポストモダン」状況とうまく付き合っていくやり方を提示するのだろうか。どちらにせよ、前向き(?)に検討する「モダニティ」の欠片が彼らの奥底にも潜んでいることは間違いないと思うのだ。

 

 

 

参考文献

 

『ポストモダニティの条件』/デヴィッド・ハーヴェイ著 吉原直樹訳/青木出版

『現代思想芸術事典』/青土社 

『道徳回帰とモダニティ〜デュルケームからハバーマス-ルーマンへ〜』/三上剛史/恒星社厚生閣